新製品・新事業テーマの創出 ”乱立した社会構造と新製品開発”
改めて、国際化とグローバリゼーションの違いを述べてみたいと思いまます。特に、ニュートラルな視点で整理するために、まずはWikipedia に書かれていることを転用したいと思います。国際化(Internationalization)とは、複数の国家が相互に結びつきを強め、相互に共同して行動したり、互いに経済的、文化的に影響をあたえあう事象全般をさし、国際化社会とは、国際化の進展している社会をさすとのことです。類似用語として、「ボーダレス社会」という言葉があります。「ボーダレス社会」は、その言葉通り、今日では交通や通信手段の発達によって、国境を越えて人やモノ、情報が動くようになり、世界はいっそう小さく感じられるようになったと言えます。1980年代にフィーバー現象になりました。その一方で、今日、地球的規模の環境破壊や国際紛争の解決、貿易摩擦やテロリズム、食の安全や感染症への対応、人権問題や諸外国からの労働者の受け入れの取り組みなど、国境をまたぐ問題が質的にも量的にも増えています。
こうした中で、一国のみの立場からの解決は困難であり、みずからの価値観にとらわれず、広い視野をもち、異文化との共生が求められています。その真逆とも言える現象が、ロシアによるウクライナ侵攻でしょうか。共生が存在するためには、画一化した世界にならず、他国文化や自国文化といった多様な価値観と多彩な文化が世界に存在していることが前提であると言われています。つまり、自文化が無くなっては共生もなにも存在不可能となるからです。これが、われわれひとりひとりの「内なる国際化(自文化と異文化の両尊重)」が求められるゆえんであるとでも言いましょうか。
国際化が国家間に生まれる概念であり、その基本的単位はあくまでも主権国家であるのに対し、グローバリゼーションは「世界」を一体的なシステムと考え、主権国家を必ずしも前提としていない点が異なると言えます。つまり、国際化社会においては、国境の役割は依然大きく、たとえばヒトやモノが国境を通過することは監視すべきものとされますが、グローバリゼーションにおいてはそもそも文物の国境通過は必ずしも監督すべき事項ではなく、そこにおいて秘匿性を保持することが、前提となる価値観のひとつとして重要視されるからです。しかしながら、現在の社会的な世界構造を見ますと、自国主義を優先しすぎる状況になっているので、国間の争いがあちらこちらで勃発しています。その背景には、先進国となった国が一度は経験する登竜門で、どの程度の年数でそのハードルを超えて、新たな共存共栄の精神を築くことができるのかということがあると思います。まさに、発展途上国としても大国となった中国が、その壁にぶちあたっていると思います。強大な国を手中に収め、ヒト、モノ、カネを一極集中にした手腕を持ってすれば、米国に代わって覇者になるという悪夢から、いつ目覚めることができるのかということでしょうか。
1980年代に絶頂期を迎えた我が国、日本がそうでした。しかしながら、見事に米国によってこてんぱんに打ちのめされた結果、今の日本、ていたらくと思う人、これでいいんだと思う人、もっと積極的に進むべきだと思う人達が乱立している国になっているのでしょう。
こうしたことに鑑みますと、国際化とグローバリゼーションの違いはあるとしても、現在は国際化とグローバリゼーションが混在した一種のコングロマリット国家と言えるのではないでしょうか。